作品紹介
覆された宝石のような静謐
〈自然の中に足を運ぼう。山へ、森へ、徹底的に歩き回ろう。そのことのために惜しみなく時間と労力を注ぎ込もう。本物でありたい。中途半端な自然人ではいけない。徹底的な自然人でなければならない。私にとって登山は一つの仕事である。愛すべき仕事の一部である〉
〈厳しい登山者のみに許された風景との出会い、鋭い観察者のみが見出しうる景色、自然の美しいたたずまい。それを絵画で表現する〉
〈圧倒的な自然のみを描く〉
〈作品、人生、生活すべてのキーワードは「自然度」である〉
このような言葉をノートに刻みつつ、身を削り精神を研ぎ澄ませて自然を描き、ひたむきに山に登り続けた画家、犬塚勉。渓谷をモチーフに「暗く深き渓谷の入口」を制作中の1988年9月23日、「もう一度、水を見てくる」と家族に言い残して谷川連峰の赤谷川本谷に入渓。悪天候につかまり、稜線に抜けたところで遭難。二度と絵筆を握ることは叶わない、38歳の、あまりに突然の死だった。
短い歳月ながらも豊かな時間と深い思い出を共にした犬塚陽子夫人によって守られてきた膨大な作品のうち、絶筆を含む後期の六作品を紹介。そこには静謐が、覆された宝石のように煌いている。(『岳人』2012年9月号より)
読書もせず、テレビも観ず、終業後は現場で描き、自宅でも深夜まで絵筆を握る。キャンバスが草でほぼ埋め尽くされた頃、突然振り向き「ひょっとすると真実を見つけたかもしれない」と真顔で語り出す。「人を描かずして人を感じさせる。それも緑一色の絶妙なグラデーションで。あの場所へ行くと、まるで愛する人を見つめるときのように心ときめく」。キャンバスの中のあの場所は遥かな光に満ち、朽ちることのない永遠の草叢のように輝いていた。 「人が、きれいな景色だ、と言うのとはまったく違う感覚で私は感動している」と漏らしたことがあった。全身全霊で自然と向き合ったとき、私たちが失いかけている何かが見えてくるのかもしれない。
林に沿う道が石ころだらけで歩きにくかったことを覚えている。時に走り、時にはバギーをガタガタと押しながら家族で散歩をした。左手の貸農園からは人々の賑わう声が聞こえ、右を見上げると深い森が私たちを静寂の中へ誘い込む不思議な世界だ。 〈杉木立を包むしっとりとした霊気あふれる気配。黒い闇をはらんだ奥深さ、白い光がやわらかく辺りを包む。水蒸気が地表を漂う。さまざまな若草がほのかに輝きながら一面に広がる〉とノートに記している。 たんぽぽを摘み、山芋の蔓を探しながらの大地との戯れも束の間、突然視界が開けブルドーザーが遠くにかすむ。「不思議の国もここで終わりさ」と悔しそうにつぶやいた夫の声が忘れられない。
何度も繰り返し山へ登りながら、山そのものを描いた作品は少ない。〈すべて絵を描くことに生かされなければならない。もし感性を磨き精神を鍛えるものでないとしたら、何の意味があるのだろう〉と体力の限界に近い山行を振り返る。 自らシャッターを切った写真をイーゼルの右端に貼る。しばらくじっと眺め、一気に描き始めた。瞬く間に北岳からの稜線が浮かび上がり、清々しい大気が画面に広がる。翌朝にはすべての石から光が放たれ、あっと息をのむようだった。冗談めかせて、いとも簡単だったかのように得意げな表情を作る。 〈自然より自然である風景。心に迫りくるものを必ず捉える〉ノートにはこう書かれていた。
「きょうは子どもたちと外に出ていてほしい」きっぱりとした口調でそう宣言され、秋葉原の交通博物館まで出かけたことがある。夕方帰宅すると夫の姿がない。辺りを見回すと、居間の片隅にイーゼルを移動させ、キャンバスを前にシルエットのように佇んでいる。絵筆の動く音だけがかすかに聞こえる。朝から何も口に入れていないと言う。 ブナの根元に射し込むほのかな光が、自ら見出した価値に従い生きようと懸命に保ち続ける私たちの願いのように見える。風雪に耐え大地から立ちあがるブナの巨木、命を終え大地に還る草木、移ろう命の儚さの中でブナの木肌だけが時空を超えた美しさを湛えている。作品に励まされ暮らした日々を懐かしく思う。
〈描きたいのは「風景」ではなく「自然」である〉〈美しい森や丘を描くように一個の石を描き、一個の石を描くように森や丘を描く。俺の興味があるのは、自然の本質的なところなのだ〉と記す。 アスレチック用にと学校へ届いた廃材の樫の木をチェーンソーで切るうち、切り株のずっしりとした香り高い存在に心打たれたという。藁の上にセッティングされた切り株を前に「これひとつで山に生きる人々の暮らしすべてを表現する」と新たな構想を語る。描写のリアリティーではなく心理的リアリティーが重要と考え、農的暮らしに関する本を読みあさり、自らの生活を問う。 かくして私たちは自給自足の「合自然的生活」への一歩を踏み出すこととなった。
「自然」の何に魅かれているのかを探究するほどに、彼の登山は厳しさを増していった。 人が「生き、かつ死に得る」決定的な視覚体験を「天啓」によって描きたいと願う。死の淵に己を追いつめ、やっと出逢うことの許される世界を体験せねばならないと言った。絶筆のイメージは、深い渓谷を溯行するときのさまざまに湧き立つ感覚世界だ。〈地球の夜明けを宇宙の彼方から見るようでもあり、大岩に当たる光と陰のようでもあり、原野を横切る一本の道のようでもあり、それらのどれでもないようでもある。しかしただひたすら美しい。そして深い自然を想わせる。描いて、描いて描きまくって最後に色つきの水をこぼすとかして仕上げる〉と記す。 ザックに遺された砕けたラーメンと大型カメラと真紅のモミジが〈世間的名声や成功とは一線を画し、真底自然を愛し続けた男でありたい〉と語り続ける。